軍艦島内部に入る貴重な機会を得たので写真見ていってくださいな

注:細かい部分がおかしいかもしれないが、大人の事情という奴だ。気にしないでくりゃれ。

 

チャーター便での特別ツアーで長崎市の『軍艦島』と『池島』に行ってきました。まとめてもまとめてもまとまらないほど充実した経験だったので、2回に分けます。

  1. 軍艦島内部に入る貴重な機会を得たので写真見ていってくださいな
  2. 未だ生きている産業遺産 池島炭鉱観光のススメ

ただ、一つ問題が……。
『池島』の一眼レフRAWデータを消失させてしまい軍艦島と池島で写真のクオリティに著しい乖離があるのですが、決して池島が劣るわけではありませんのであらかじめご了承ください。(むしろ、一般の観光なら池島の方がオススメです)

 

全国石炭産業関連博物館等研修交流会

学芸員などの炭鉱遺産の有効活用を模索する方々同士で交流会を定期的にやっており、『池島』という島で炭鉱遺産の観光資源化を模索している小島さんに「池島行く」と友人経由で伝えたところ、「ちょうどいいし、参加しなよ」と誘っていただいて交流してきました。他の方々は造船所やら、福岡の炭鉱も数日かけて回るようだったのですが、日程的に厳しく、1日だけだったのが残念無念。

そんなわけで、長崎市を巻き込んでの学術的な軍艦島ならびに池島調査なので、普段許可が下りないエリアも案内付きで回れました。今回の特別ツアー写真は全部、観光目当てではなく、合法的かつ学術的なものになります。(超重要!!)

許可なく軍艦島の観光エリア以外に立ち入るのは、不法侵入ですよ!

 

同行者が豪華すぎてビビる

我々5人と合わせて小島さんが誘っていたもう5人ほどが、ヱヴァQメインスタッフやら特撮系大御所様方ご一行って……orz

内心、ネックストラップの名札見るたびに一喜一憂していましたが、向こうも一仕事終えたばかりの社員旅行みたいなもんでしょうし、深く考えたら貴重な機会を楽しめない気がしたので、カバンの中のヱヴァQパンフも封印したまま、ただの廃墟好きとして雑談してました。なので、そこに関しては深く触れません。

それでも、ヱヴァQのあれを見た一週間後に、実際の壊滅的な廃墟に立ち尽くしながら「人類の終焉か……」と呟いているシンジくん(注:碇シンジの名前の由来である樋口真嗣監督)を横で見られた感動は筆舌に尽くしがたかった事だけはお伝えしておきます。(笑)

 

軍艦島探索

案内の人が、唯一実際に端島軍艦島)へいた経験のある人で、それ以外の学術的な面子も軍艦島に何度も踏み入れている人が揃っていたため、あらゆるところに入り込み(そして、たまに長崎市の人に怒られ)ながら貴重な情報をたくさん聞けて、非常に充実した時間を過ごせました。

でだ、語るのも野暮な圧倒的光景だったので、素人が撮って、素人が現像した分ですが、いくつか貼っておきますね。

 

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まずはやっぱり軍艦島端島)全景ですね。
戦艦「土佐」に似ていると言われたところから、軍艦島と呼ばれるようになったそうです。

 

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上陸は通常の観光船とは別の、居住地区側でした。さっそく、そびえたった学校がお出迎えしてくれます。

 

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この学校、堤防が決壊して海水が出はいりして土が掻き出されています。建物全体がシーソーのようにバランスを取って、かろうじて建っているという話でした。今、この瞬間に倒壊しても不思議ではありません。

 

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本当に危険な建物以外は、かなり自由に室内へ踏み入れられる貴重な機会でした。
当時の設備なども最低限は残ったままなので、人間の営みの儚さを痛感させられます。

 

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軍艦島最大の、戦時中建設である65号棟です。
軍艦島から石炭を掘り出し北九州の八幡製鉄所へ運ぶためには、狭い島内により多くの炭鉱夫を住まわせる必要があったため、鉄が足りない時代でも鉄筋コンクリートを採用して巨大な構造物が作られたのです。

 

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島内で一番高い高台に位置する端島神社まで登らせてもらいました。眺めはいいですが、ルートとして整備されているわけではないので、のぼり途中が手すりとかなくて怖いです。

 


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この風景を見ながらヱヴァQ陣が言ってたのを参考に色の対比に気を付けて現像してみました(ヲイ
今回のおかげで、シンでフォースインパクトが起こる確率上がったと思いますw

 

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ひたすら瓦礫の上を歩いてましたね。
草に隠れたマンホールに落ちた人がいるとか、前回の台風でいつものルートが使えなくなったとか、ガチで危険な話をされました。

 

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通常の見学コース側に戻ってきて、島内半周終了です。
一般ツアーの上陸は船が着岸しやすい=炭鉱当時の石炭の運び出しエリアなので、軍艦島らしい『コンクリートジャングルの廃墟』である居住エリアとは高台を挟んで正反対の開けたエリアになります。
観光資源としてはちょっと勿体ない気もしますし、実際にもっと観光エリアの拡大を模索はしているらしいのですが、実際歩いてみると開放は難しいだろうというのが正直な感想です。

しかし、廃墟としてのイメージが先行している『軍艦島』ですが、次に行きました『池島』も含めて『炭鉱遺産』としての側面が理解できると、まったく違った楽しみ方が出来るのではないかと思います。

  1. 古代に北部九州がジャングルに覆われていたのが海に沈んで石炭となった
  2. 石炭の大部分が海抜数百メートルの海底に存在している
  3. 陸の拠点である島からアリの巣のように膨大な範囲の海底を掘る必要があった

という背景は今回のような機会がなければ知ることは無かったでしょうが、それが長崎の海上に浮かぶ島が世界でも稀にみる廃墟群を生み出したというのは、非常に学術的でおもしろい話ではないでしょうか?

もし軍艦島へ向かう機会があるなら、軍艦島のそばにある『高島』の石炭資料館でしっかり情報を仕入れていくと全然違うと思います。

 

では、続きとなる「未だ生きている産業遺産 池島炭鉱観光のススメ」もぜひお読みください。(ついでに、他の軍艦島写真もFlickrにあげているのでそっちも。)