コンピュータ将棋が現役男性プロ棋士に一発入れた日

とうとうこの日が来てしまいました。 客観的に見て、プロ棋士が5局を全部勝ちきる事は厳しいほどにコンピュータ将棋が強くなっている現状なので、第2回将棋電王戦のどこかで当然この日がくるだろうと思ってはいましたが、実際に来てしまうと思いの外ダメージありますね。負けた直後もですが、今朝起きて佐藤慎一四段のブログを読んだらさらにグッとくるものがありました。

いかに理屈をこねようと、コンピュータに棋士が敗れた瞬間、棋士が指す意味がわずかでも減るんじゃないかと危惧していましたが、もちろんそんな事はありませんでしたね。 佐藤慎一四段が一手一手に魂を込めるその姿は、ハチワンダイバー最新刊の鈴木八段の姿に重なりました。一人の男が将棋に生涯を捧げ、一局にその全てを込める姿に魅力が宿らないはずないですもん。惜しくも敗れてしまいましたが、一生忘れないであろうほど記憶に残る一局でした。

 

理想的な形での初黒星

誤解を承知で言いますが、望むべくもないほど理想的な形でX-Dayを迎えられたと思います。

まず、対局自体が一進一退の続いた、金を払って観るに値する名局でした。 不自然ながらそれを咎めさせないponanzaによる序盤、互角の展開で流れが悪くなりかけたところから踏ん張ってプロの強さを発揮した佐藤慎一四段による中盤、そしてミスとも言えない人間らしいミスとコンピュータらしい力押しが絡み合った一進一退の終盤。 はっきり言って、電王戦では勝つときは第1局のようにはっきりと勝つし、負けるときは完全に読み負ける展開になると思っていただけに、負けたとはいえここまで震える一局になったとは驚きです。

そして何より、それを延べ50万人が目撃する環境で対局が行われて、その一手一手にリアルタイムで一喜一憂できたのです。普段将棋に興味が無い人も、興味を持って接してるように感じました。 故・米長会長をはじめとする数々の人の尽力により、将棋が最高のエンターテイメントとして機能しています。コンピュータという新たな価値観による初黒星が、コンピュータとネットワークによりもたらされた新たなルートで観戦されるというのは、象徴的ですね。

おそらくこれはあと1年前後するだけでも棋力とニコ生浸透のバランスが崩れていたかもしれないだけに、去年の第1回電王戦と、その日のうちに団体戦に切り替えた判断は、会長の残した圧倒的妙手だったはずです。

 

コンピュータ将棋の強さをはかる試金石としての電王戦

昨日の対局を見ていてわかったのは、思ったほどコンピュータ将棋は無敵ではないな、という事です。 それなりに論文や本も読んでいるので、決してコンピュータの評価が常に正確だとは思っていません。現に、それを突かれて惨敗したのが第1局です。それでも、コンピュータが得意とする局面でのコンピュータは信用しています。 例えば昨日の対局の終盤、後手がかなり危ない局面でもボンクラーズが後手持ちでしたが、同等の読みのマシン同士でぶつかれば後手が凌ぎきれたはずです。

しかし、必ずしもそうとは言えないと見せてくれたのが昨日の将棋でした。56手目、後手が馬を作った局面です。

局面評価としては互角といえば互角ですが、先手がかなり勝ちやすい局面だと思います。先手は飛車角銀桂が5筋に働いており、馬が活用できるまで受けに回る必要がある後手は厳しい局面でしょう。こういう手が狭く、枚数の攻めが効く局面はコンピュータの計算力が得意とするところであり、綺麗な左美濃VS矢倉というのも比較的評価しやすいはずです。 はっきり言って、この局面になった時点で佐藤慎一四段は立て直せない流れだと思っていました。

しかし、ここから後手の佐藤慎一四段が指した手が素晴らしかった。 次に先手 ponanzaの▲5四歩で銀が押し返されたのですが、後手はなんと囲いに引きつけず、△6二銀です。

正直、未だにこの手の意味はよくわかっていません。後手陣のバランスを整えて6筋を支えつつ、万一のときはそっぽ向いた位置で銀を取らせて手を作ろうという事でしょうか。検討室も手は見えていましたが「こういう手を考えるようでは……」と中継コメントに書いていました。 けれど、結果としてこの銀が5筋を支えきり、好位置の△4六角と交換されました。 こういう、コンピュータが今まで出会えなかった、コンピュータ相手や早指しでは絶対に出てこない次元の手を棋士が指せるのか、そしてそれはコンピュータに通用するのかが電王戦始まるまでわからなかったわけですが、とうとうそれが見られたのです。 8割方90点の手を選び続ければ勝てていたのがアマチュアや早指しレベルとすると、プロレベルは確実に90点の手が選ばれ続けて、かつたまに120点の手を指してくる領域なのかもしれません。

"私は何か根本的なブレイクスルーが無いとプロ棋士には勝てないのではないかと思っていたのだが、実はそうでもないように思う。(中略)比較的単純な評価関数であってもたくさん先まで読めば、かなりの精度で局面を評価できるし、序盤でやや作戦負けになっても、圧倒的な終盤力があれば逆転できることが多い。プロ棋士でも読みぬけていたりポカしたりするので、いまのままのアルゴリズムでもマシンが高速になればプロ棋士にもある程度は勝てるのではないかと思う。"

これは5年前の渡辺竜王VSBonanza戦をうけてのやねうらおさんの言葉ですが、これはある程度真実で、それが現実になってきたからこそとうとうプロ棋士が敗れたわけです。 しかし、計算能力による棋力向上が頭打ちしてきた現状で、人間が及びもつかない神の一手を指すにはまだ何かが足りないとするとおもしろいですね。

情報科学的に、チェスでコンピュータが完全に上回っている以上、将棋が違う結果になるわけはないでしょうが、想像以上にプロ棋士は高みにいて、一進一退の攻防を5年、10年と見られるのかもしれません。一将棋ファンとして、最強棋士を上回るというもう一つのX-dayも、昨日のような素晴らしい形で迎える事ができればいいなと祈っております。

 

コメント付き棋譜

自分用メモ代わりに作ったコメント付き棋譜を置いておきますね。棋力が無い人間の作ったものなので、正しい情報が知りたい人は将棋モバイル中継の方をオススメします。