中学高校で、グラフとか論理とかやらずに微分とか行列とかやる理由ってなんなんだろ?
という@kisの発言に対して返答したことから議論が始まったので、オイラの考えをまとめておく。グラフ理論が重要って事に関してはアルゴリズムやる人間の発想なので、スルーする。また、中学校では微分も行列もやらないので高校時代に話を絞る。
@kisの主張としては、
- 論理に関しては論理的思考の原点になるから重要。
- 論理は文系でも役に立つ。横断的に役に立つ分野は優先順位が高くないの?
- 理系にしか使えない微分に全体のリソースを割く意味。
日常生活レベルの学問は中学までで、高校以後は理系・文系各ジャンルの学問の芽を育てるために各教科があると思っている。つまり、大げさに大学進学や就職先で専門教育を修める人間のために、全体の時間リソースを割いていると言っていい。あまりに一部の分野のみを学ばせるのはよくないという教育的配慮なんだろうが、関係ない分野の人間にとってはまさに時間の無駄とも思えるだろう。
一方、それを必要とする個人の側の視点に立つと、ただでさえ時間リソースは限られているのだから、その後に専門分野を学ぶにあたって、最大公約数的に必要な知識を学べるカリキュラムが必要になる。この場合、各ジャンルでまず出てくる微積の考え方は削れない。また、行列レベルだと重要度は下がるが、無いと困る事が多くなるため、"数C"として理数系に進んだ後に学ぶことになる。このように、取捨選択してくと"文系ですら役に立たせることは出来るが、誰にとっても必須ではない"単元を理数系の授業に割く余裕は消える。それが"論理"のような項目なわけだ。
ここで、"論理学"が必須なのではないかという理論になるが、理系だから論理的思考の重要性は重々承知していながらも、それでも敢えて言うと、"必須"では無いと断言できる。実際に学問に取り組むに当たって、"論理的思考"で道筋を学ぶ前にやるべき事があるからだ。料理人になるにあたって、微積や行列のように"包丁の持ち方"や"フライパンの使い方"のようなよく使う基礎項目も学ばずに、レシピの作り方を学ぶのは愚挙でしょ。もちろん、論理的道筋を立てて、その都度必要なことを学ぶというスタンスも学問への取り組み方としてはありだが、下積みが無いと微積レベルになると学びにくい難度だし、そもそもそれは全体教育である高校にはむいてない。
さらに、"論理"以外にも本当は学ぶべき事はいくらでもある。しかし、高校の勉強時間費やしても基礎ツールのみを抑えるだけで精一杯なのだ。
以上がオイラの主張となる。これは完全に大学いってる人間の発想なんだろうが、文系・理系に分かれた瞬間にお互いの単位は一気に削減される事や、進学率が低い高校だとより実務向けの単位が増えたりすることからも、あながち間違ってはいないはずだ。もちろん、他の視点からだと全然見方になるだろうし、他分野の勉強をすることを完全に否定しているわけでもない。それでも、今までの人生振り返って、研究者として生きていく上での基礎ツールを学ぶ時間がもっと早く、もっと多くあって欲しかったと思う。そうすれば、プラスアルファを学ぶ時間がゆっくり取れたのに。
と、勢いで書き散らした。なんかものすごいこと言ってる。でも、反省はしていない。